君の存在に気がついたのは、偶然だった。
色とりどりの傘が咲く中、道の真ん中にぽつりと君はじっと立っていた。周りを歩く人々は迷惑そうな顔をするでもなく、ごく自然に君を見ないですれ違う。
それがひどく奇妙に思えた。

この季節は一年中の水を溜めようとするように、雨の日が続く。
次の日も、その次の日も、君はじっと偶像のように静かに立っている。
4日目になり、また君を見かける。いつものようにどこを見るということもなく、ただぼんやりと人ごみを瞳に映している。僕は目を伏せ、すれ違おうとしたとき。君の胸ポケットから紙が一枚ひらりと舞い、僕の目の前でそれは落ちた。
「あっ、」
小さな焦ったような声。
僕は彼が声をだしたことに内心驚きながらも、雨で濡れてしまった紙をかがんで拾った。
「はい」
僕の手からそれを受け取りながら、君は目を見開いた。
うすく開いた口はわずかに動く。
「…あ、りがとう、ございます、」
何度か上下し、舌が唇を湿らせてからようやく漏れた声は、水分を取っていなかったのだろうか、からからと乾いた、掠れたものだった。
「最近、君いつもここにいるね」
どういたしまして、と応えてから言う。何故だか知らないけれど、僕は内心とても舞い上がっているようだった。そんな心の裡を覗かれないように、意識しながら落ち着いた声音で喋る。
「み、見えていたんですか?」
おかしなことを聞く。僕は首をかしげた。
「ここは通学路だから」
「そ、そうなんですか」
緊張しているのだろうか、口どもる君はけれどその頼りなさげな声に反して僕としっかり目を合わせていた。初めて見る、こんなに綺麗な琥珀色は。
「明日もここにいるの?」
あまり必要以上に人と話しをしたことがない僕は、何を言えばいいのか分からず、結局気になっていることを聞くことにした。
君はしばらく迷ってからやがてこくりと頷いた。
「明日も、雨だったら」
「…そう、」
今週一週間は確実に雨だと天気予報は言っていた。僕はよかったと思った。
「じゃあまたね」
「は、はい。また、」
また、と。そう言ったときの君は初めて笑みを浮かべた。



「やあ」
「こんにちは、」

それから僕と君は挨拶をするようになった。
学校帰りの日が沈む前の時間。季節によっては美しい夕暮れが見える時刻は、けれど雨の日はそれが嘘のようにどんよりとした暗雲が少し明るくなるだけだ。
一言二言話すだけの時間は、気づけば僕にとって特別になっていた。
何か特別なことを話すわけでもない、目が合って笑みをかわすだけの日もある。
けれど晴れの日はきまって君はその場所に現れなかった。

「どうして晴れの日はここに来ないの?」
そう尋ねたのは初めて会話をしてから3週間ほどたってからだった。
君はそれを聞いた途端、顔を強張らせてうつむく。君のつむじをしばらく見ている時間は長かった。
「…無理だから、です」
「何が?」
「雨の日じゃないと、ここに来ることができないんです、」
ごめんなさい、と消えそうな声で君は言った。震えていたかもしれない。
理由は教えてくれなかったけれど、僕は君のそんな声を聞きたくなかった。何故聞いてしまったのだろうと後悔して、それなら仕方ないねと、納得したような様子で言ってみた。
「……この人を、探さなければいけないんです」
しばらく躊躇った末、君は胸ポケットから一枚のポストカードほどの大きさの紙をとりだした。僕があの日、拾ったものだった。
それを見て僕はあっと声を上げそうになった。あのとき濡れたせいだろう、ごわついたそれは一枚の写真だった。まぎれもない僕の姿と、下に名前が記している。雲雀恭弥、と。
君は雨の日は必ず僕と会っているのに、写真の人間と僕が同一人物であることに気づいていないようだった。

それを見た瞬間何故か僕は悟った。君は僕を殺そうとしているのだ。

それは確信だった。けれど君は僕が名乗らない限り、僕が僕だと気づかないから、僕を殺すことはできない。
普段の僕だったら、殺される前に殺さなければと何の躊躇もなく身体に忍ばせてある愛器で殺しただろう。実際彼は本当に弱そうで、一瞬で片がついたに違いない。僕は僕を害そうとするものに容赦なんてしたことは一度もなかったから。
けれど僕は、そんなことは思いもしなかった。
僕はただ、名乗ったらもう二度と君が笑いかけてくれなくなるのが怖かった。
だからふうん、と興味なさげに頷いただけだった。


「あなたは優しい人ですね、」
心に染み渡るような笑顔で君はそう言った。
あと2,3日で梅雨が明けるだろうと天気予報で告げられた、その日のことだった。
僕は人から優しいなんて言われたことは生まれてこのかたなく、戸惑った。
「そんなことないよ」
「いいえ、そうなんです。オレはあなたがとても、好きです」
はにかんだ君の頬は赤くなっていた。つられて僕の頬も熱くなる。
「…僕も、君が好きだ」
君の瞳を見つめることができなくて、うつむいたまま早口で言った。みっともなく掠れた声だ。それでもその声はちゃんと君に届いた。
うれしい、と震える声に、勇気を振り絞って君を見る。この世で一番美しいと思っていたその琥珀は潤んできらきらとしていた。


その次の日、僕は君のところまで走っていった。傘はもう何の意味ももたず、全身が濡れていたけれど、君に早く逢いたくて、そんなことは気にもとめなかった。
君はふと顔を上げて僕を見つけると嬉しそうに微笑んだ。
「こんにちは。走ってきたんですか?」
「うん。…早く君に逢いたかったんだ」
「でも、こんなに濡れて…。風邪を引いちゃいます」
君は手を伸ばして、雫をぽつぽつと落としている僕の前髪に触れようと手を伸ばした、そのとき。

「タイムリミットだ」

ぞっとするような冷たい声が聞こえた。
君は顔を強張らせて後ろを振り向いた。一人の、男が君のすぐ後ろに立っていた。何の気配も感じなかったことに僕は警戒する。しかし男は僕に一瞥すらも与えず、君をその得体の知れない闇のような瞳で見下ろす。

「時間切れだ、ツナ。お前はターゲットを殺すことができなかった」
「……は、い、」
「さあ、いくぞ。…なんだ」

項垂れた君の肩を掴んだ男を睨みつける。
そいつは初めて僕に気づいたようだった。わずかに感情がこもった声で、男にも感情がやどっていることを知る。

「お前。オレたちが見えるのか」
「その子をどこに連れて行く気、」

これほどまでに低い声が僕にだせたなんて知らなかった。唸るようなそれに、男はふんと鼻をならす。

「任務を遂行できなかった魂はそのまま滅びる」
「…魂?」
「なんだ、お前、気づかなかったのか?こいつはとっくに死んでいる存在だぞ」

自殺した魂は救われずに地獄に落ちる。そこで滅びるか、もしくは滅ぼす存在になるか、どちらかを選ばなくてはならない。
それを決める最初の任務だ。

君が死んでいると言われて、僕はようやく納得がいった。だから人ごみの中でも誰も君にぶつからなかったし、僕以外の誰とも君は目を合わせなかったのだ。

「納得がいったか?じゃあな、」
「まって」
今にも去ろうとする君たちを止める。まだ何かあるのかといわんばかりに不快な顔にはかまわず、男が現れてからずっとうつむいたままの君に声をかける。
「ねえ。そのターゲットを見つければ君は滅びないの?」
「まあな」
何も応えない君のかわりに男が応える。
「僕だよ」
微動だにしなかった君の頭が動いた。君はぎこちなく顔を上げた。
こんなときなのに君と目が合うことが嬉しかった。
「僕が、雲雀恭弥。…君が殺すべき、相手だ」
揺れ動いていた琥珀に光が射した。ほっとしたようなその顔に、僕も安堵する。
「よかった、」
掠れた声で君は言った。
「よかった、あなたを殺さずにすんだ、」
大きな瞳からぽろりと涙がこぼれた。
僕は驚く。そうではない。
「今君が僕を殺せば間に合うだろう!」
焦って声を荒げる僕にふるふると首を振る。
「いいえ、間に合いません。もう時間切れですから。…うれしい、」
嬉しい、嬉しいと何度も繰り返した。
「あなたの、名前を知りたいと思ってた、から、…雲雀さん、オレの名前は綱吉、です」
「…つなよし、」
「はい、」
ああ嬉しい、と。泣きながら君は僕を抱きしめた。君に触れたのは、初めて逢ったときぶりで、僕は同じように抱きしめ返しながらも君に言う。
「綱吉、お願いだから僕を殺して、自分を助けるんだ」
「いいえ、もう無駄です。…ほら、雨が上がった」
とっさに空を見上げる。雲の隙間から青空が覗いていた。

「好きです、雲雀さん。あなたに逢えてよかった、」


そうして次の瞬間には僕の腕の中にいた君は消えていた。

僕の前足元にはただ、水にぬれてふやけた一枚の写真だけが残っていた。


(2008.7.15.加筆修正)