我慢できずにヒバリの後を追った、あの日。

仕方ないねと嘆息した彼は一緒に連れて行ってくれたけれど、その次からはやっぱりお留守番してほしいと綱吉に言った。

「だってこの前は一緒に行ったのに」
「ついてきた、の間違いだろう」

ヒバリははあ、と溜め息をついた。ヒバリの傍にいたいと言う綱吉の気持ちは嬉しい。ヒバリだっていつでも彼女の傍にいたいのだ。だけど見回りのときは駄目だ。何があるかわからないし、どこの馬鹿が綱吉に目をつけるのかわからない。いやそんな輩は咬み殺すが、自分以外の誰かが綱吉を見ることが気に食わないのだ。

「お願いだからいい子にしていて」
「でも、」
「綱吉」

やや強くなった口調に綱吉は口ごもった。こういうときの恭弥はけして譲らないのを知っている。

「…ヒバリさんの意地悪」

綱吉の尻尾が不満げに左右に揺れる。

「もう子どもじゃないのに…」
ヒバリは微苦笑を浮かべた。
「まだ子どもだよ」
「子どもじゃありません!」
「まだ発情期もきてないくせに何言ってるの」
「、だって、」
「綱吉、すぐに帰ってくるから」

こつんと額をあわせてヒバリは言い聞かせるようにゆっくり言った。
近づいた夜の色の瞳に綱吉の姿が映る。
しぶしぶと許可の代わりに、綱吉の蜂蜜色の尻尾がぱたりとヒバリの足を叩いた。




ヒバリの後姿は好きじゃない。
段々と遠ざかっていくのが嫌。時折振り向く回数が距離に比例して少なくなっていくのが嫌。
音をたてずに優雅に歩くその姿はうっとりと見惚れるほどだけど、近くで見れないのは寂しい。
寝床に戻りかけた綱吉は、しかし眠たくはないとヒバリを見送った場所に戻った。
そこにちょこんと座って毛繕いを始める。自分でする毛繕いよりも、ヒバリにしてもらうほうが好きだ。ゆったりとした動作で丁寧に綱吉を綺麗にしてくれる。

(やっぱりヒバリさんにしてもらえばいいや)

そう思い毛繕いをやめた綱吉の耳がぴくりと動く。
馴染みのない気配が近づいてくる。
一瞬隠れたほうがいいかと躊躇している間にもその気配は近くなり、綱吉はそちらに顔を向けた。
塀の上を歩く青みがかった猫がこちらに向かって歩いている。
ヒバリと同じくらいの大きさだ。綱吉の存在に気づいていたのだろう、こちらをちらりと見る。

(わ…!)

赤と青の異なる色の瞳。なんて綺麗だろうと思わず綱吉はぽかんと口を開けた。
警戒もなにもないその表情に、その猫はぱちぱちと目を瞬いて苦笑したようだった。
トン、と勢いをたてて塀から飛び降り、綱吉の前までやってくる。

「こんにちは」
「あ、こ、こんにちは」

ヒバリ以外の猫と話すのは初めてで、綱吉はどきまぎとしながら挨拶を返す。

「僕は骸といいます。君の名前は?」
「つ、綱吉、です」
「綱吉くん。いい名前ですね」

雌猫なのに、とは骸は言わなかった。不思議とこの蜂蜜色の猫には合うような気がしたからだ。
骸の言葉に綱吉の頬が嬉しそうにゆるんだ。

「ありがとうございます!オレの、大好きな猫が名付けてくれたんです」
「そうですか。…綱吉くんはここらへんに住んでいるんですか?」
「はい」

ふむ、と骸は改めて綱吉を耳から尻尾までまじまじと見た。首輪をつけていないということは人間に飼われているわけでもなさそうだ。そのわりには警戒心がないが。
きょとんと首をかしげる姿が可愛らしくて、知らず口元を緩めながら一歩綱吉に近づく。と、

「!」

ぴん、と耳がたち、尻尾がざわりと逆立つ。
オッドアイが大きく開かれ、目の前でそれを見ていた綱吉は突然の反応に戸惑った。

「骸さん?」
「…綱吉くん」

息をひとつ吐いて自身を落ち着かせるように尻尾を揺らす。

「はい?」
「ヒバリという猫を知っていますか?」

綱吉は躊躇わず頷いた。知っているも何もない。

「ヒバリさんはオレを育ててくれた猫です」
「…なるほど」

やはり、と息を吐く。
このあたりはヒバリの縄張りだ。そのため彼の匂いがするのは仕方ないと思っていたが、近づいた途端に綱吉から漂う匂いはそういった間接的なものではない。
濃厚なマーキングとしかいいようがないのだ。
骸は不快な匂いに内心眉をよせた。一目見て気に入ったというのに、もうよその猫…それもよりによってヒバリのものだというのか。

(いや、そうともいえませんね)

明らかに発情期がまだだと分かる。

「ヒバリさんのお友達ですか?」
「いいえ。知り合いです」

骸はにっこりと笑った。

「? それって違うんですか?」
「だいぶ違いますね」

違いがよくわからない綱吉はそういうものかと小さく首をかしげた。
春の風がふわりと綱吉の毛を撫でて揺れる。
名残惜しい気持ちはあるが、今日はこのへんで別れないとと骸は尻尾を揺らして一歩踏み出した。

「さて。そろそろ行きますか」
「え、」

もう行っちゃうのと綱吉は目を開いた。同時に耳がしゅんと垂れる。

「また会いにきてもいいですか?」

その様子に胸をくすぐられ、骸は尋ねる。

「…骸さん、オレの友達になってくれるんですか?」
「ええ、綱吉くんさえよければ」
「、はい!」

生まれて初めての友達だ。綱吉は何度も頷く。それに骸は優しく微笑んだ。
ひょいと近づいて、ヒバリの匂いにむっとなりながらも今度は綱吉の鼻を舐める。
するとヒバリの匂いに隠れていた綱吉自身の匂いがした。
まだ発情期も訪れたことがない子どものはずなのに、かぐわしいそれ。
同じように綱吉にも舐められて骸は機嫌よさげに耳をぴくぴくとさせた。

「では、また」
「はい、また今度」

何度も振り返ってくれる友達の姿が消えるまで綱吉はその場にたたずんでいた。