夏はまだ終わらない



「あ、流れ星」



思わずといったような、健二の呟きに佳主馬はちらりと横を見た。夜空を見上げて、顔をほころばせている。その様子はとても年上とは思えないほど無邪気なもので、佳主馬はじ
っと彼を見つめた。
真夏の暑さは、夜になると和らぐ。山に囲まれたこの地域は、日が暮れるととたん涼しくなるのだ。つい先日の気温は今年最高気温だったと気象予報士が告げていたのを思い出す。健二の横顔の向こうで、高く聳え立つ山も闇色をまとっていた。
りーんりーんと近くで虫の鳴き声がする。静かに鳴くそれは、日中に声高く存在を主張する蝉とは違って疲れさせない。背中の向こうで夕飯の片付けを終えた母や叔母たちの話し声、かすかにまたいとこたちの甲高い声も聞こえる。







ラブマシーンを倒してから、3日目の夜だった。曾祖母のお葬式を終えて、夏休みらしい夏休みを佳主馬たちは過ごしている。戦いの中で何よりも実感した、家族の大切さを、佳主馬たちはけして忘れないだろう。曾祖母の残した手紙をもう一度読んで、誰しもがそう感じた。
半壊した屋敷は、文字通り半分、破壊されていて、見れば見るほど自分たちがぎりぎりのところを生きたのだと実感せずにはいられない。そしてそれを為し得た青年は、ぽかんと口を開けて、まだ空を見上げていた。
満天の星空は、東京では見ることはできないものなのだろう。それは佳主馬が暮らす名古屋とて同様で、けれどそれこそ赤ん坊のときから毎年ここにやって来ている彼は、健二のように星の多さに圧倒されるということはない。
首が痛くならないかと思うほど頭をのけぞらせている健二を見つめながら、何とはなしにそんなことを思っていると、いきなり健二がこちらを向いた。
「…なに?」
「やっぱり違うよね、東京とは」
ちょうど思っていたことと同じようなことを言われ、佳主馬はぱしりと瞬きをした。
「星が?」
「うん、星の多さも、輝きも。…いいなあ」
やっぱりここは、いいところだね。ふ、と柔らかく微笑む。
その笑顔にとくん、と心臓が跳ねた。どくどくどく、身体中へと酸素と血を送り込むポンプの役割を果たすそれは、ここ数日ずっと持ち主の意思に反して勝手に過剰な反応をする。くそ、なんでこんなにうるさいんだ。なんでこんな、笑顔一つで。
キング・カズマがこんなことに動揺するなんて。正確には動揺、ではないのだろう。知っている。いいや、知らない。知るものか。ぐるぐると同時に色んな思いが言葉になり、そのすべてを消すようにかぶりを振った。
「佳主馬くん?」
「…なんでもないっ」
心なしか語尾が荒くなったのに気づいたのか、健二はきょとんとして何か言おうと口を開いた。それを遮り、ごまかすようにそろそろ家に戻ろうと言うと、困ったように笑う。
「もうそろそろ風呂が空くよ」
「うん、でも、」
「健二くーん! お風呂空いたわよ。入っちゃって」
なんていいタイミングだ。子どもたちと風呂に入っていたのだろう夏希がひょっこり顔を出して健二を呼んだ。
「はーい!」
佳主馬の言葉に少しためらっていた健二も、とっさに夏希の声に返事をする。風呂上りでまだ髪が湿っている夏希は、客観的な目から見ても文句のつけようのない美少女だ。彼女の姿を認めて淡く頬を染めたのが分かり、佳主馬は半眼になった。むかつく。
「ほら、行こう。健二さん」
「…もう少し見てたかったんだけどなあ」
残念そうに言いながら、それでも屋敷に向かって足を踏み出す。佳主馬はその背中を見つめた。ひょろりとした、頼りない背中。それでも佳主馬は芯の彼の強さを知っている。
「行かないの?佳主馬くん」
「また明日見ればいいんじゃないの」
「え?」
「明日もこの天気なら晴れるよ。だから明日の夜も、きっと星が綺麗だ」
「…うん、そうだね」
淡々と言葉を紡ぎながら佳主馬は足早に健二を追い越した。振り向かなくても健二が今どんな表情を浮かべているのか分かるような気がして、佳主馬は俯きながら小さく笑った。


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