おかえりなさい、佳主馬くんのチョコレートケーキが食べたいので、作ってください。
と、珍しく僕よりも遅く帰ってきた佳主馬くんに行ったら(彼は「ただいまー、あーつかれた…」と言いながらネクタイを弛めていた)、そのネクタイの結び目に指を突っ込んだまま、しばし固まった。瞬きが三回、ぱちぱちぱちとしてから眉間に縦皺を一つ作る。
「健二さん」
「なに?」
「チョコレートケーキが食べたいのは、今日がバレンタインだから?」
「それもある」
たしかにね、と頷く。1ヶ月前、正月も終わりふと周囲を見れば世間はすでにバレンタイン一色。毎日毎日大学と家の間を行ったりきたり、その間にスーパーやらコンビニやらに寄れば綺麗に包まれたチョコレートの山がさあ買ってくださいなとばかりに棚に並んでいる。
そしてそれが今日までであることも分かっている。明日になれば今日までのチョコレート祭りが嘘のように、今度はホワイトデー用に変わるのだ。それはどうでもいい。
「ようするに毎日チョコばっかり視界に入れば、インプリンティングされるよね」
「…健二さん、今年は学生からもらわなかったの?」
「え、もらったよ。昨日食べてたから知ってるでしょ?」
きょとんと首をかしげる。こんなおじさんにも心優しい女子生徒たちは用意してくれるのだからありがたいというものだ。お返しを期待されても正直そんな大したものは返せないけれども。
「でも思ったんだよ。バレインタインは何の日?」
「一般的に恋人の日だね」
「そう。だから佳主馬くんの愛が食べたいです」
胸をはって告げた言葉に、佳主馬くんの顔つきが変わる。靴を脱いで廊下に上がり僕を抱きしめた。そしてそれこそ蕩けんばかりの甘ったるい声で耳元で囁く。
「俺の愛が食べたいならいくらでも食べさせてあげるけど」
「よかった!今日一日佳主馬くんの愛は僕の胃を満足させるもの以外受け付けないようになってるけど、それでよろしく!具体的にいうと、チョコレートケーキで」
「……なんでそこまでケーキにこだわるの」
雰囲気を変えようとして失敗した佳主馬くんの苦い顔に、教えないと首を振る。
「材料は全部そろえたから、後は佳主馬くんのゴッドハンドで作るだけ!ほら、早く手を洗って」
「…わかったよ…」
あーもう、年々この人フリーダムになってくなと呟く彼を無視して台所に用意した材料を諸々確認して、僕はにこりとした。
付き合って初めてのバレンタインに甘いものが好きでない彼が作ってくれた愛情たっぷりのケーキを、また数時間に味わえることの喜びに。
(もちろん僕も甘さひかえめの愛を用意しているんだけど)
愛を食べる日
ハッピー・ハッピーバレンタイン!
甘いものが好きじゃないけど健二さんのためにチョコの匂いに顔をしかめながら美味しいケーキを作る佳主馬に愛を感じたらいいじゃない!