「日本語ってきれいなんだよ」
そう言ったら佐久間は笑った。あのにやっと、人によっては感じの良いと感じる(らしい)、人によっては馬鹿にしてると感じる(らしい)(僕にいわせればその両方だ)口の端をつりあげて、「なーに、数学馬鹿のお前がそんなこというなんて。数学馬鹿から国語馬鹿に鞍替え?」って。でもそのあとに少し考えて、「まあ俺たち日本人だからなあ」なんて、遠まわしに肯定した。佐久間はいつもそうやって、どんなに馬鹿馬鹿しい言葉でもちゃんと聞いてる。ふーん、と聞き流すふりをして、でもそれは格好だけ。ようするに格好付けなのだ。そして人の話を聞いてるのはいいことだけど、ついでにいらんことまで覚えてる。覚えていて、それを夏希先輩とか佳主馬くんにバラしちゃうものだからこっちとしてはたまったものではない。お前は少し、黙っておくことを覚えろ!もしくは忘れろ!
「で、なんでいきなりそう思ったわけ?」
「ちょっとね」
「なんだよ、意味深だな」
→
「日本語ってきれいなんですね」
そう言ったら夏希先輩はきょとんとして、「どしたの、健二くん」と笑った。高校のときから憧れた彼女の笑顔は、相変わらず今もひまわりみたいだ。「健二くんがそういうこというなんて珍しい」くすくす笑って、(きっとこの笑顔に男も女も関係なく夏希先輩が好きになってくんだ)(おばあちゃんの若い頃もこんな風だったのかな)「うん、私も好き!」はる、なつ、あき、ふゆ、から始まって、思いついた言葉を続けていく。はなふだ、こいこい、さんこう、しこう、あおたん、いのしかちょう、と言葉の羅列は花札用語になっていって、最終的にはすいか、ぶどう、もも、なし、りんご、と食べ物になったものだから思わず僕が笑いをこらえて唇をかみ締めると、なあに?と夏希先輩は首をかしげた。先輩、お腹すいているんですかと尋ねると、みるみるうちに顔が真っ赤になっていって、「なんで分かったの?」と言うから、ますますおかしくなってついには吹き出してしまった。
「でも何でそう思ったの?」
「内緒、です」
「ええー、ずるいー!」
→
「日本語ってきれいだね」
そう言うと佳主馬くんは、カタカタとキーボードを打っていた指を止めて、こちらを見た。佳主馬くんは器用だから、タイピングしながらでも会話できる。できるけどあんまりしないのは、たぶん自意識過剰かもしれないけど、僕が顔を合わせながら会話をしたいということを知っているからだ。(4つ年下の佳主馬くんはその4歳を飛び越えるくらいに大人で、彼の優しさに甘えてしまう自分にたまに落ち込む。でも佳主馬くんは、健二さんを甘やかすのは俺の特権でしょ、と嬉しそうに口の端をつりあげて、そう言ってくれるから結局僕は彼に甘える自分を許すのだ。)
「健二さん?」
「アイラブユーを、夏目漱石が何て訳したか知ってる?」
僕の言葉に少し間をおいて、ああ、と佳主馬くんは頷いた。
「…前に授業で習ったことがある。月が綺麗ですね、だっけ」
「うん。それ聞いてすごいなって思った」
こんなにもきれいな言葉で伝えることができるなんて。
「…これ、僕だったらもう一つ付け加えるな」
「え、なんて?」
きょとんと目を瞠る僕に向かって、しなやかな腕が伸びる。手のひらで僕の頬を包み、佳主馬くんは見ている僕が幸せになるような笑みを浮かべた。
「でも、あなたしか見えない」
(だって健二さんは鈍いから、それだけじゃわかってくれないでしょ?)
月が綺麗ですね