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そのメールが届いたのは、ゼミ生と今話題になっている問題について話していたときだった。
滅多に来ない子からのメールに不思議に思ったけれど、何度かのメールのやり取りの後返事は来なくなったから気が向いただけだったのかなと携帯を仕舞ったのを覚えている。
帰って夕飯の支度をしていたら呼び鈴が鳴ったから、取引先と会議があるとかで出かけている佳主馬だろうと玄関に向かう。昼間のメールのことを話そうと思いながらドアを開けて。

「おか」

えり、と言いかけたそれは音になることはなかった。
「久しぶり、でもないよね。二ヶ月ぶり?」
この間上田で会ったばかりだし、と笑うその子を、これでもかというほどに目を丸くして見つめた。ここにいるはずのない子だ。
「ま、真緒ちゃん!? な、何でっ? ここ東京だよね?!」
「当たり前じゃん。あ、これ、お母さんから」
「え、あ、ありがとう。わー、佃煮! 典子さんの、好きなんだよねえ。林檎も美味しそう」
荷物だったビニール袋を受け取って、中を覗いた健二は嬉しそうに笑う。つられて笑い返す真緒に、はっとして健二は首を振った。
「じゃないよ! どうしたのいきなり? もしかして何か向こうで問題でも…!」
「何もないけど、…ねえ健二」
「うん、なに?」
「今日、泊めて」
きっと目に力を込めて見上げられて、とっさに駄目だよと言いかけた健二はだが、その真剣な眼差しに瞠目した。これと同じ目を、健二は何度か見たことがあった。
「…典子さんの許可がないと、だめだよ」
健二の言葉に真緒はぱあっと顔を輝かせた。
「佳主馬兄と健二がいいならいいよって」
「そっか。それならいいよ。真緒ちゃんはうちに来るの初めてだったっけ?」
「うん」
「真緒ちゃんのうちより全然狭いけど」
どうぞ上がって、と見慣れた穏やかな笑みで言われて、真緒は頷いた。おじゃまします、と呟いてパンプスを脱ぐ。
「鍵閉めなくていいの?」
「いいよ。そのうち佳主馬くんが帰ってくるし」
「ふうん」
きょろきょろと辺りを見回す仕草を見て、健二は思わず吹き出した。
「なに?」
「ううん、ただこの間真悟くんと祐平くんがうちに来たときも、同じことしてたなって」
「へえ」
健二はブルーのエプロンをしているのに気づき、夕飯を作っている最中だったのかと真緒ははっとした。
「ごめん、健二」
「え、何が?」
「突然来たから、ご飯…。近くにコンビニあったから、弁当でも買ってくるね」
「ああ、心配しないで。真緒ちゃんの分もちゃんとあるから」
「でも」
「次の日の昼ごはんにできるように、いつも多めに作ってるんだ。だから大丈夫。遠慮しないでたくさん食べて」
「…」
にこにこと微笑む健二は、昔から全然変わらない。夏休みが来るたびに、真緒たちは健二から数学(小学生のころは算数だったけれど)を教えてもらったものだ。広間で腹ばいになって、自分はともかく真悟や祐平とか、特にそっち方面に対して集中力も根気もない子どもを教えるのは大変だっただろうに、そんなそぶりは一度だって見せなかった。いつだって笑って、ここまでできればあと一歩だよ、絶対できる、と力強く頷かれるとそんな気になってくるから不思議だった。
「真緒ちゃん?」
反応のない真緒を不思議に思った健二が小首をかしげる。
「ううん、なんでもない。ありがと」
「どういたしまして」
お礼を言うと頭を撫でられた。
「…健二、私今十九なんだけど」
「あっ、ごめん、つい」
無意識だったらしく、真緒が自分を指差すと慌てて手を離す。へらりと笑って、健二はそうだよねえ、と頷いた。
「もうすぐ成人する女の人に対して失礼だった。…この前も思ったけど、本当に大きくなったね、真緒ちゃん。僕も年とるはずだ」
「…健二は全然年取ったように見えないけど」
「ええ、そんなことないよ」
「まあ何でもいいけどね。…ねえ、もうご飯できてるの?」
「ううん、今始めたところ」
「じゃあ何か手伝う」
「え、いいよ。テレビでも見てて」
「働かざるもの食うべからず、でしょ?」
泊めさせてもらうんだから、それくらいはしないと。
腰に手を当てて言い放つと、典子さんにそっくりだとまた健二は笑った。親子なんだから、似ていて当たり前なのに。
荷物を置いて手を洗い健二とともに台所に行くと、ガス台の上にはすでにフライパンと出汁をとっているのか、水の中に昆布やにぼしが入っているビタクラフトが置いてあった。
「ね、エプロン他にある?」
「あるけど佳主馬くんのだから大きいよ? 僕のほうが少し小さいから、これ着る?」
自分の着ているエプロンを指差す健二に、何でもいいと頷く。脱いだエプロンを着て、真緒は小さく声を上げた。
「真緒ちゃん?」
「エプロン、ぬくい」
「今まで着てたからね。じゃあちょっとエプロン探してくるから」
「うん。健二、これ切ってていいの?」
ピーマンや竹の子が入っているボールを指差すと、健二は頷いた。
「うん、細切りでよろしくお願いします。すぐ戻るね」
「はーい」
ピーマンをまな板の上に寝かせて包丁を持つ。家の包丁とは違うけれどこれもよく使い込まれているのか手に馴染む気がする。真緒は鼻歌を歌いながら手を動かし始めた。