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久しぶりに面倒くさい打ち合わせ(それも今日で終わりだからいいけれど!)があって疲れたので、思い切り健二といちゃつこうと思って帰宅したらここにいるはずのない又従妹がいた。



「………真緒」



呼び鈴を押してすぐに開いたドアに、健二さんと呼びかけた口は数秒止まり、代わりに目の前の人間の名前を呼んだ。
「おかえり、佳主馬兄」
「…ただいま。何でお前がうちにいんの」
「泊まるから」
「は?」
「今日泊まらせてね、佳主馬兄」
「いや無理」
心の欲求のままにとっさに断ると、すっかり女らしくなった又従妹は整えられた眉をひそめて、不満げに唇を尖らせた。というかお前、そのエプロンは健二さんのか?健二さんのだろう。
「えー何で」
「何でって…。それはこっちの台詞。何で真悟とか祐平といいお前といい、いつも急なんだ…」
てっきりいいと言ってくれると思っていたのに、と真緒は息をつく。だがすぐに肩をすくめた。
「でも健二の許可もらったから佳主馬兄の許可はいらないんだよね」
「は?! ちょっ健二さんなんで!!」
普段の健二ならば断りそうなものなのに。というか実際夏に真緒が泊まりに来たいとかなんとか言ったときは首を横に振っていたではないか。
思わず叫んだ佳主馬の声を聞きつけたのか、健二がひょいと廊下に顔を出した。
「おかえり、佳主馬くん」
「ただいま! 何で真緒が泊まるの?!」
「え、泊まりたいっていうから」
佳主馬の剣幕に健二は驚いて目を瞬かせた。年の離れた妹に対してほどではないものの、真緒や加奈には甘いのに。佳主馬は乱雑な動作で靴を玄関に落とし、健二に食いかかる。
「前は駄目だって言ってたくせにっ」
健二は馬を落ち着けるようにどうどう、と両手で彼を押しとどめた。
「いや、だって来ちゃったものは仕方ないしねえ。それにもう暗いから、今更帰せないよ」
「………」
「佳主馬兄、私がいるの嫌なの? 邪魔にならないようにしてるけど…」
「いや、別に嫌なわけじゃないけど…」
「だけど?」
続きを促す又従妹から目を逸らし、佳主馬は健二に顔を向けた。
「…健二さん、俺疲れてるからはり、いたいいたい痛い!」
ぎうううううっと思い切り右の頬を抓られた佳主馬が悲鳴を上げる。途中で遮られた佳主馬の言葉に真緒はきょとんとして二人を見た。
「え? なに? 疲れてるからなに?」
「何でもないよ、真緒ちゃん」
にっこりと微笑む健二の指は、まだぎりぎりと佳主馬の頬を抓っている。
「けんじさんいたいいたいまじでいたい!」
「なさけないなあキングなら少しぐらい我慢できるよね?」
「ごめんなさいごめんなさい!」
佳主馬が必死に謝るとようやく健二の指が離れる。赤くなった頬を擦りながら佳主馬はぼそぼそと呟く。
「仕方ないじゃん、生理げ」
「佳主馬くん、疲れてるなら一人でゆっくり休みたいよね。家出てけば?」
「ごめんなさいもう言いません」
「……佳主馬兄…」
健二に頭が上がらない佳主馬を真緒は生ぬるい目で見つめる。昔はクールでかっこいいなあと思っていたのに。
佳主馬の言っていることはよく分からないが、健二の様子から恐らく問い詰めても教えてはくれないだろうことは理解する。
と、くう、と小さな音がして真緒は頬を赤らめた。
「あ、ごめん、お腹空いたよね」
「うん」
「佳主馬くん、早く手洗ってきなよ。ご飯にしよう。真緒ちゃんも手伝ってくれたんだ」
「へえ、お前料理出来たんだ」
「普通だけど」
洗面所に向かおうとした佳主馬が、ふと思い出したように振り向いた。
「健二さん」
「ん?」
「それ俺のエプロンだよね?」
健二には少し大きめな黒い男性用エプロンを指差す。
「あ、うん。ごめんね勝手に借りて」
「いや、いいけど。むしろずっと着ててほしいかも」
「…佳主馬くん、今のはセーフにしておく」
そこで口を閉じたからね。
にっこりと笑った健二に、その後に下に何も着ていない状態でと続けたかった佳主馬は懸命に口を閉じる。
「……手、洗ってくる」
「そうして」
足取りが重い佳主馬の後姿を見送り、健二はため息をついた。
基本的に第三者のいる前でそういったことを口にしない彼が、ここまであからさまに言うことは珍しい。本人も言っているようにだいぶ疲れているのだろう。
(二人だけならしたいようにしてよかったんだけど)
「健二?」
「ん、ああ、ごめんね。行こうか、真緒ちゃん」
食卓の準備を整えにリビングに戻り、我慢してもらうしかないと健二は内心で肩をすくめた。

まあ一日やそこらなら大丈夫だろう。死ぬわけでもないし。