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白く輝く白米に、まあるい皿に山盛りになった青椒肉絲、端にちょこんとミニトマトが乗っていて、そしてわかめと豆腐のお味噌汁。どれも出来立ての証拠とばかりにゆらゆら、湯気を立てている。一般家庭の定番のような夕食だ。すう、とあたりを漂ういい匂いに、こくりと唾を飲み込んだのははたして誰だっただろうか。
「「「いただきます」」」
両手を合わせてそれぞれの口から同時に出た言葉は、陣内家の人間にとってとても大切なものだ。
てかてかと胡麻油で細く切られたピーマンが光る。綺麗に箸を操りながら青椒肉絲と白米を口いっぱいにかきこみながら、ほどよくご飯に合うその味に真緒は美味しい、と口を動かした。実際にはおいひい、としか言えなかったけれども。健二は嬉しそうに笑った。
お味噌汁を啜り、馴染んだ味に目を瞠る。母のものとも叔母のものとも違う、けれど確かに知っている味だ。
「これ、」
「あ、分かった? 万理子さんからもらった味噌を使ってるんだ」
「やっぱり」
陣内の女衆は料理上手ぞろいだから、子どものころからその料理を食べてきた一族は舌が肥えている。それは勿論真緒も例外ではなかった。
「真緒ちゃんも料理上手なんだね」
「まだまだ練習中だよ。お母さんには全然勝てない」
「そりゃあ典子さんは主婦歴長いもの。僕も見習わなきゃ」
「そう? 十分上手いと思うけど」
包丁を握るところも味付けをするところも、自分よりもずっと手馴れていた。何となく健二は数学以外のことには不器用な印象があったのに。
「料理自体はそこまで苦手じゃないけど、やっぱり忙しいときには手を抜いちゃうし。どっちかっていうと僕より佳主馬くんのほうが得意なんじゃないかな」
「佳主馬兄が?」
真緒は目を瞬かせた。男たるもの厨房には入らずというわけではけしてないが、上田の家で佳主馬が料理している光景など見たことない。
健二たちの会話に耳を傾けたまま無言で箸を動かしていた佳主馬は、二人の視線に顔を上げた。そして片眉をつり上げる。
「何だよ」
「佳主馬兄、料理得意なの? 健二より?」
「普通。健二さんと同じくらいじゃない」
「でも佳主馬くんのほうが手早いっていうか、なんていうんだろ、…無駄がないから」
「そう?」
「そうだよ」
「じゃあいつも料理はどっちがしてるの?」
「基本は当番制。どっちかが忙しいときは暇なほうがやったりしてる」
「へえ…。でもそうだよね、やっぱり今は男だって料理できないと駄目だよね」
うんうんと頷く真緒に、健二は小さく笑う。
「真悟くん?」
「そう! あいつぜんっぜん料理しないの! そのくせ私の作るものに文句言うしさ! 嫌なら自分で作れっての!」
父親に似てか成長期とともに縦も横も大きくなりますますふてぶてしくなった弟への不満に口を尖らせる。
「え、でも調理実習とかはするでしょ?」
「授業でやっても家でやらないと意味なくない?」
「まあねえ」
「嫌がらせにあいつの嫌いなものいっぱい入れてるけどね」
「真緒ちゃん…」
好き嫌いはあっても残すことは許されないのが陣内家の食事のルールのひとつだ。それを知っている健二は苦笑した。対照的に佳主馬は箸を一度止めて、ちらりと健二を見た。
「健二さんも人のこと言えないと思うけど」
「…うっ」
「え? 健二も?」
「気に食わないことがあると俺の嫌いなものだけでご飯作ったりするし」
そのくせ口に出しては何も言わないでにこにこしてるからタチが悪い。
「………だってあれすっきりするんだよ…」
そっと目をそらしてぼそぼそと返事をする健二の、意外な一面に真緒は驚く。健二は人の嫌がることはしないと思っていた。
「意外…」
「この人はけっこう大人げないよ。そのくせ自分の嫌いなものは食べないで俺の皿に乗せるから」
「健二…」
「いやっ、あの! で、でも結局食べるよ!」
「それだって俺が直接食べさせないとじゃん」
「佳主馬くん!!」
真緒ちゃんの前でよけいなこと言わないの!
がん、と机の下で鈍い音がした。
「…っ!! ん、じさん…っ!」
痛みに呻く佳主馬に、唖然とした真緒の視線を受けた健二は、えへへとごまかすように笑って見せた。
そして笑ったまま小さく首をかしげて、真緒ちゃんご飯のおかわりいる?と訊く健二に、真緒は反射的に頭を振っていた。





「お風呂ありがと」
「あ、うん、早かったね」
食事が終ると片付けはいいからお風呂に入るように健二に言われた。彼の言葉に甘えて風呂を借りて、持参してきた折りたたみ式のドライヤーで髪を乾かしてからリビングにいる健二に声をかけると、縁のない眼鏡をかけて本を読んでいた健二は顔を上げた。ソファに腰掛けている彼の前にはすでに布団が敷かれていた。
「眼鏡かけるんだ」
「たまに、本読むときとかだけだよ」
「ふうん。佳主馬兄は?」
「もう寝ちゃった」
「あ、疲れてたから…」
「うん、今回けっこう大変だったみたい」
「へえ」
正直佳主馬の仕事が具体的にどんなものなのか、真緒は知らない。聞いても分からないと思うから最初から尋ねない。
化粧水と保湿クリームを塗りながらそうなんだと頷いて、健二はそれを知っているのにけっこう容赦がなかったなと思う。
「え? 僕が?」
「うん」
ので正直にそれを告げると、思わぬことを言われたというように目を開かれた。ぱちぱち、とてもとっくに成人した大人とは思えない仕草で瞬き、ややあって眼鏡を外して健二は僕何かしたっけ?と呟く。
「もしかして足蹴ったこと?」
「それもある」
「うーん、そっか…」
「ていうか、あれかも。普通のことなんだけど、健二がやるとびびるっていうか。…健二、私たちには絶対ああいうことしないでしょ?」
「できないねえ」
「でも佳主馬兄にはする、と」
言いながら、ふとそれだけ佳主馬に甘えているということだろうかと気づく。昔から健二は、注意するべきことは柔らかな物言いでもきちんと注意してくれたけどいつだって優しかった。相手を尊重するあまりの押しの弱さもあったけれど。
その彼が、あそこまで強気にでて、そうまるで母が父にするような扱いもするということは、――つまりそういうこと、なのだ。
(…うわぁ…)
彼らの交際が公になってから、長期の休みになるたびに訪れる彼らの仲睦まじい姿を何年も真緒は見てきた。お互いを思いやって、いつだって相手しか見てなくて。物語にあるような、漫画にあるようなものではなく、もっと綺麗な恋の形。
そう思っていた彼らの、初めて知る日常は想像していたよりもずっと現実的で、そのくせ理想を壊すわけでもなく――。
「真緒ちゃん?」
「な、なに?」
「どうかした?」
「ううん」
「そう? 眠たくなったら布団敷いておいたから、いつでも寝ていいんだよ」
「ありがと。…ねえ、健二」
「?」
「明日何か予定、ある?」
「ないよ。あ、どこか行きたいところあるなら付き合おうか?」
「ほんと?! やった! 佳主馬兄も平気かな?」
「うん、何も聞いてないから大丈夫だと思う。どこ行きたい?」
「ちょっと見たい店があるの」
にこりと笑う真緒につられて健二もそっかと微笑む。
「明日出掛けるならなおさら、そろそろ寝ないと」
「うん」
「一応八時くらいに起きるつもりだけど、それで大丈夫?」
「全然。おやすみ」
「おやすみ」
ぱたん、と静かに閉じられた扉の音がするのと同時に、真緒は布団の上にダイブする。
専用のリモコンで電気を消すと一瞬で暗闇になる。手元を探り携帯を開き、不在着信やメールが何件もあることに眉をひそめる。真緒はそれらをすべて無視して翌朝のためのアラームをつけた。

『真緒、俺はずっと――』

「うるさい」
ぐもった呟きは布団の中で消えて、唇を噛み締めて真緒は目を瞑る。一人になるとどうしても思い出してしまう、いつも馬鹿みたいに笑っているあいつが顔をこわばらせて――。
(あんな顔なんてみたくなかった)
(ちがう。しらない、あんなやつなんて知らない)
(早く寝なきゃ)
健二と佳主馬よりも先に起きて準備をしなければいけないのだ。
瞼にぐっと力を込める。いつもならばすぐに訪れるはずの眠気がやってこないことは、分かっていたけれど。