7


健二と佳主馬の家に帰ってから、しばらくのんびり過ごして夕飯を食べてから(今日は佳主馬が作ってくれた)、もう一泊することにしたと実家に電話番号を押した真緒に、だが予想に反して電話を取ったのは典子ではなく真悟だった。
「あ? もう一泊?」
「そう。お母さんに伝えといて」
「わーった。土産よろしく」
「はいはい、じゃあね」
「あ、待てよ真緒」
「なに」
「昨日お前の携帯の充電、切れてたのか?」
「何で」
「家に電話あったぞ、まっちゃんから」
「…ふうん。真悟、もう切るよ」
「? ああ」
真緒の声のトーンが下がったことに、真悟は気づかなかった。電話越しであることに内心感謝しつつ電話を切る。
そのタイミングを見計らったのか、健二が声をかける。
「真緒ちゃん、シャワー浴びる?」
「まだいい。…健二ー」
「うん?」
「話しても、いい? …別にそんな対した話じゃないんだけど」
ぼすん、とソファに置いてあるクッションを抱いて身体を倒す。視線が交わる。健二は優しく笑いながら、もちろんと頷いた。





「…告白、されたの」


ぽつり、と。胸に抱いたクッションに視線を落としたままこぼした真緒の呟きに、健二は目を瞬かせた。
陣内の人間は皆太陽のようだと、健二は常々思っている。顔立ちが整っていることは勿論、まっすぐなその気質に惹かれる人は多いだろう。だから告白される機会も少なくないはずだ。
台所で人数分の麦茶を用意していた佳主馬がテーブルにそっと置いた。ソファの斜め前、健二の隣の椅子に腰掛ける。
それきり黙りこんだ真緒に、そっと健二は問いかける。
「嫌いなひとから?」
「っ、…ちがう、…友達」
「友達?」
「中学のときからの」
唇を歪めて告げる、複雑そうなその口調に何となく彼女の心境を察して健二は頷く。
「ずっと仲良かったんだ?」
「…うん」
ぎゅ、とクッションを抱く腕に力がこもるのが見えた。
「大切な友達だったんだね」
「………」
「だから裏切られた気がした?」
びくり、と真緒の肩が揺れる。顔を上げて、戸惑ったように健二を見る。
「なんで、」
「僕も覚えがあるから」
しんと静まり返った部屋で、真緒と健二の視線は交わったまま逸れない。それを切ったのは、茫然とした佳主馬の声だった。
「…え、ちょっとまって健二さん、もしかして佐久間さんに告られたことあるの?」
「………佳主馬くん」
笑っていいのか怒っていいのかよくわからない気持ちで、健二は脱力気味に佳主馬を見やる。普段人一倍鋭いはずの佳主馬は、たまに意味のわからないところで盛大にボケるのだ。
「僕が言うのもあれかもしれないけど、佳主馬くんたまにすごく空気読まないよね…」
「佳主馬兄、KYすぎる…」
ないわ、と真緒が頭を振る。二人の生ぬるい視線を受けて、佳主馬はむっとした。
「そこは俺的には見逃しちゃいけないところなんだけど」
「佐久間が僕にそういう感情が一切ないってことはよく知ってるよね」
「そうだけど、俺と知り合うより前に何かあったかは知らないし!」
「何もないから。…覚えがあるって言ったのは、君の事」
「え」
息をついて健二はひどく驚いた顔をしている真緒を見た。すっかり女性らしくなったけれど、そういう顔をしていると昔のままだなと健二は小さく笑った。
「言ったことなかったっけ? 僕と佳主馬くん。最初は友達だったんだよ」
「そ、それは知ってるけど…」
「俺が告ったんだよ。中三の夏」
佳主馬が口を挟む。言われて初めて真緒は二人がどういう経緯で付き合い始めたのか知らないことに気づく。
「そう。それまでは普通の友達だったからびっくりした」
「…うん」
「しかも僕も佳主馬くんも男だろ? でもそれまで見たことない顔で冗談じゃないっていうし」
「うん」
重なる部分があって真緒は何度も頷く。そう、そうなのだ。
「で、そのくせ告白した本人は僕より余裕があるみたいだしさ、その後も普通に話しかけてくるし」
「うん」
「ぐるぐる考えてたらなんかすごくむかついてきて」
「うん! そうなの! むかつくの!!」
意気投合する二人に入っていけない佳主馬は傍観者として黙るしかない。いきり立つ真緒とは対照的に、健二はいつもの穏やかな口調のままだ。
「何でこんなに僕一人が動揺しなくちゃいけないんだって思いながら、…でも本当は怖かった」
「…っ」
「今まで僕と佳主馬くんの間にあったものがなくなっちゃうような気がしたんだ。…真緒ちゃんは?」
くしゃりと真緒の顔が歪む。
「だってずっと、友達だと思ってたのに…っ! ずっと、ずっとだよ? 七年も一緒にいたのに、なのに…!」


『真緒、俺はずっとお前のことが好きだった』


自分が友達が思っていた年月の分だけ、彼は自分のことが好きだったと言った。確かなものだと思っていた友情が、すべて否定されたような気がしたのだ。だから許せなかった。許せなくて、
「…知らないって、怒鳴ったの」
「…うん」
「あんたなんかもう知らないって。ずっと私に嘘ついてたんだって」
人によってはたいしたことではないかもしれない。けれど真緒にとっては些細なことではなかったのだ。だからかっとなって言った。だけど。
「真緒ちゃんはそのひとのことが好きなんだね」
「…ちがう」
「友情とか恋愛とか関係なくて。とても好きなんだ」
「……っ」
潤んだ目をごしごしと擦る。健二は席を立って真緒の前で腰をかがめる。そっと真緒の頭を撫でて、赤くなった目で見上げてくる真緒に笑いかけた。
「感情の名前が違っていても、真緒ちゃんとそのひとの間にあったものは嘘じゃないと思うよ」
「……」
「『思う』じゃないな。嘘じゃないって、『知ってる』んだ」
だってそれを否定したら、僕と佳主馬くんの間にあったものも全部嘘になってしまうから。
そう言った健二に、真緒は違うと首を振る。
「だって健二と佳主馬兄は、」
「違わないよ。同じだよ。…ねえ、佳主馬くん?」
名指しされた佳主馬は、肩をすくめる。
「確かに。…真緒、お前の気持ちは分かったけど、そいつの気持ちは考えたか?」
「え…」
「今まで黙ってたってことは、お前との関係を大切にしてたってことだろ? それでも今になってずっと好きだった相手に告白して、全否定されたそいつの気持ちは?」
「佳主馬兄…」
「そいつと付き合うのも振るのもお前の勝手だけど、そのまま逃げることだけはするなよ」
ちゃんと向き合えと、厳しい声で言う。茫然と又従兄を見つめて、真緒はこくりと息を飲む。
「健二、も…?」
「うん?」
目を瞬かせた健二に、聞くまでもないと真緒ははっと口を閉じる。逃げなかったからこそ、今の彼らが在るのだ。ちゃんと向き合ったから、こそ。
「…健二は、怖くなかった?」
「怖かったよ。…でも、佳主馬くんも怖いんだって分かったから」
「か、ずま兄が?」
「当たり前だろ。怖かったよ、今まで大切にしてきた関係を壊すんだ。下手したら気持ち悪いと思われる可能性だってあったんだ。怖くないわけがない」
「じゃあ何で、」
「好きだったから」
そこで佳主馬は一度口をつぐんで、健二に黒々とした切れ長の瞳を向けた。健二がふわりと微笑む。
「好きで好きでどうしようもなくて、言わずにはいられなかったんだ」
幸せそうに見つめ合う二人を眺めながら、真緒は詰めていた息を吐く。
こんな恋がしたいと、ずっと思っていた。だからこそ、そういう恋ができる相手が想像できなくて誰とも付き合えなくて。
けれどそれは、相手がどうこうという問題以前に、自分の問題なのかもしれない。
その思いが伝わったように、健二が口を開く。
「恋人とか、家族とか友達とか、色んな形の絆があるけど、僕たちは皆一人の人間だから。だからちゃんと、人と向き合うことが大切なんだ」
「健二…」
「それを教えてくれたのは、おばあちゃんや陣内家の皆さんだよ。だから大丈夫、真緒ちゃんなら、できるよ」
亡き曾祖母の言葉を思い出す。大好きだった大ばあちゃんと同じ言葉を、健二が言う。真緒は無意識に、こくりと頷いた。


そうして漸く、昨日から胸のうちにつっかえていたものがなくなっていくのを、真緒は感じていた。