温泉ウォーズ


ちょうど一年前、あらわしが墜落したことで湧き上がった温泉は、すっかり陣内家にとってなくてはならないことになったらしい。



宴会とほぼ同義語のような夕食も終盤にさしかかったころ、騒がしくも温かい家族に囲まれて一年ぶりの再会(といってもちょくちょくOZを通じて連絡はとっていたのだけれど)を喜んでいた健二は、その話題がでたとき思わず感嘆のため息を洩らした。
「毎日温泉に入れるって、贅沢ですねえ」
「あれ?健二くんまだ入ってなかったっけ?」
太助が意外そうに言う。そういえば去年健二が東京に帰ったとき、まだ湧き上がったまま温水は勢いを止めていなかったかもしれない。
「はい、まだです」
「そりゃ早く入らなきゃいけねぇ!よし、皆で行くか!」
酒に顔を赤らめた万助がピシャリと膝を叩いて言うと、3兄弟から始まり万作、太助、理一、侘助や翔太までもがノリ気になった。
一瞬で大人数で入ることが決定して、健二は驚きながらも嬉しそうに笑う。輝いた瞳は、そのまま隣に座る佳主馬に向いた。
「佳主馬くんも行くよね?」
箸を止めた佳主馬が返事をするより早く、万助が答える。
「あったりめーよ、な、佳主馬!」
「僕はいいよ」
「え、行かないの?」
「なんだ、佳主馬。健二と裸の付き合いがしたくねーってのか?」
「…ッ、師匠!」
「ん、どうした?」
「………なんでもない」
多感な中学生が片想い相手と共に風呂に入ることに耐えられるはずもない。万助の言葉をそのまま、しかし深い意味でとった佳主馬は慌て、だがギリギリのところで言葉を呑み込んだ。
首をかしげる万助の向かいで、佳主馬の視線がいつもどこに向かっているのか気付いている41歳組は、片方はあからさまににやにやと笑い、もう片方はビールをあおることでうまく口元を隠す。


((若いっていいねぇ))


奇しくも同じことを内心で呟きながら。
いつもとはどこか様子の違う佳主馬に、どうしたのだろうかと思いながら健二はぽつりと呟く。
「でもせっかくだから僕、佳主馬くんと一緒に入りたいな」
からん、と佳主馬の手から箸が零れ落ちた。固まる彼を首をかしげながら見る健二は、後ろからぽんと肩を叩かれて振り向く。理一がにこやかな顔で言った。
「健二くん、佳主馬は俺が連れてくるから先に支度して行ってるといい」
「はい。じゃあ待ってるね、佳主馬くん」
にこりと笑った健二は、ごちそうさまでしたと頭を下げて客室に着替えを取りに大広間を出た。






ちゃぷん、と手の中に掬い上げたお湯が跳ねる。
普段入る湯船よりも熱い天然の温泉に全身を沈ませて、健二は無意識に息を吐いた。
身体が弛緩しているのを感じる。血が全身を駆け巡るのが、気持ちいい。
「どうだい?けっこういいだろ」
ざぶり、と小さな波を作って頼彦が健二の隣に腰掛けた。
「はい、気持ちいいです」
「けっこう病み付きになるんだよ、これが」
「分かります」
仕事が終わった後なんか特に入りたくなるんだよなーと言う頼彦は、その所為で毎週本家に来るようになったらしい。
克彦と邦彦がたわいもない話を始める。万作と万助は酒飲みたいなどと言って、赤ら顔をますます赤くしている。お酒が入った後にすぐ湯船に使って倒れやしないだろうかと心配になるが、誰も気にしていない。翔太は太助に憎まれ口を叩いて怒られていた。と、健二はぱっと顔を上げた。
理一と侘助が佳主馬を連れてやってきたのだ。
「佳主馬くん」
佳主馬は気まずげに健二をちらりと見て、すぐに目を離す。先に身体を洗うつもりなのだろう。
シャワーを頭にかけるその後姿を見ていると、しばらくしてから全身を洗った佳主馬がやってきた。心なしか、緊張しているようだった。
(気のせいかな?)
思いながら、健二は佳主馬に笑いかける。
「いい湯だね」
「…うん」
ちゃぷん、ちゃぷん、と健二と佳主馬の間で揺れる波。
周囲の騒がしさをよそに、しばし二人の間に沈黙が落ちる。健二は佳主馬が疲れを癒していると思っているが、実際は違う。



(………かんべんしてよ…!)



OZの英雄とは思えない泣き言を内心で叫ぶ。
目の前で、熱い湯に全身を火照らせた健二の頬は、いつもよりも血色がいい。ほんの少し癖のある髪は、濡れている所為で大人しくなっていて、毛先からぴちゃん、と水滴が落ちる。唇の赤さから目が離せない。
佳主馬にとって、あまりにもそれらは目の毒だった。

「〜〜〜ッ、先に出るよ!」
「え、佳主馬くん?」
耐え切れなくなって佳主馬が勢いよくお湯からあがる。ざばり、と大きな音がたつのに、驚いた健二はとっさに佳主馬の後を追いかける。まだ入ったばかりなのに、長湯は苦手なのだろうか。
「佳主馬くん、待って。僕も出るよ」
「! ちょ、けんじさん…!」
ぎょっとして振り返った佳主馬はぴしりと凍りつく。持ってきたハンドタオルは健二の頭に乗せられたままで、つまり彼は下半身を何も覆っていなかった。
かっと頭が沸騰して、くらりと目の前が歪む。



「佳主馬くん?!」


あせったような健二の声を最後に、ブラック・アウト。






***

緩やかな風が頬をくすぐる。優しいそれに意識が浮上するのを感じながら、佳主馬はゆるりと目を開いた。

「あ、起きた?」

「けんじ、さん…?」
ぼんやりとしながら、佳主馬は自分が健二の滞在中の部屋である客室にいることに気がつく。
「佳主馬くん、のぼせちゃって倒れちゃったんだよ。覚えてる?」
「…ッ!」
健二の言葉にはっとしてすべてを思い出す。脳裏に蘇るそれに佳主馬は叫びたくなる。
声にならないまま、無言で悶絶する彼をきょとりと見下ろしながら、健二はその間も団扇で佳主馬に風を送り続ける。
「咽渇いてる?」
「………べつに」
それどころではない。ないのだけれども。
そう?と微笑んだ健二がくれる風はあまりにも優しくて、佳主馬はしばらくして身体の力を抜いた。瞼を下ろすといっそう心地よく感じた。






そのままいつのまにか眠ってしまった佳主馬は知らない。
そう遠くない未来、健二と親族公認の恋人になった彼が、この日の出来事をいつまでの酒の肴にされることを。






宿題その2。中学生佳主馬はいいよ!断じてへたれではない!たぶん!

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