ととととと、

軽やかな音をたててすばやく野菜を切り刻む包丁を操るその姿を、恭弥は半ば感歎しながら見ていた。なるほど、カウンターからだと作っているところも見れるのか。
営業時間に来られるものならこの席を独占して彼女が料理している様子をずっと見守っていたいなどとつい思ってしまい、そんなことはできるはずがないと口の端をわずかにつり上げた。苦い笑み。

(どうしようもない、か)

同じ空間に綱吉がいるという胸の裡から湧き上がる幸福の中、唐突に突き刺すような痛みを感じる。

(お願いだから僕のことを知らないままでいて)

自分の正体に気づいて、すべてが壊れてしまうことを想像するたびに心身が凍った気になる。神など信じてはいないから、神ではなくただ目の前の想い人に願う。

(どうか、)





「遅くなってしまってすみません」

厨房から直接出されず、わざわざトレイに乗せてそれを両手で持ってホールにでてきた綱吉は、どうぞと恭弥の前に出来たばかりで湯気がたっているそれらを置いた。

「お酒は、どうします?」
「今日はいい」
「はい」

そういえばこの後仕事が残っていたと思い出した恭弥は断った。
いくら飲んでも酔えない体質なので、別に飲んだところで些少はないのだけれど。

「じゃあ、お茶持ってきますね」
「君の分の湯飲みももってきなよ」
「え、でも、」
「まあ、開店準備をしなきゃいけないのなら仕方がないけど」

まだ営業時間じゃないだろう?
わずかに首をかしげて座ったまま自分を見上げる彼に、少し考えてから首肯した。まだ開店するまでに1時間半ほど時間がある。花や京子が来るのは店が開く30分前だし、彼女らがきてからでも準備は間に合うのだ。必要なことは買い物に出かける前にある程度終わらせていたから。

こぽこぽ、音を立てて急須から茶を注ぐ。
肌が冷たくならない程度に効いた冷房のおかげか湯飲みは程よい熱さだ。

「どうぞ」
「うん」

湯のみを受け取り一口飲んでから、いただきますと言ってからいつものように食事を始める恭弥を不躾にならないように見つめる。彼は気づいていないかもしれないが、恭弥は必ず初めに汁物から飲む癖がある。ひとつひとつの仕草を見て、新しい発見があるたびに綱吉の胸は躍る。別の人間ならどうということはないのに。それが恭弥であるだけで。
どうしてこの人なんだろうなんて考えたこともない。自然に自分の中にあった想いがいつ生まれたのかすらも。もしかしたら一目ぼれだったのかもしれないし、毎日わずかな時間とはいえ会って、少しずつ彼と親しくなったからかもしれない。けれどそんなことはどうでもいいのだ。大切なことは、願うことは、

(ずっとこうして恭弥さんといれますように)

ただそれだけ。